幻聴が聞こえたら

私の幻聴体験

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2004年12月7日
2006年5月5日 修正


 私の幻聴体験について書きます。

 こういった体験告白の形を通じて怪しげな集団に誘う者がいないとも限りませんので、多少は警戒して読んで頂ければと思います。精神的に参っている人をうまく誘い込むカルト宗教などには惑わされないようにしなくてはいけません。なお、心霊的な内容を多分に含んでおりますので、それが受け付けられないという方は、読まれないようお願いします。

 私が幻聴を体験することになった切っ掛けは、高校生の頃にまでさかのぼります。当時の私には具合の悪い所がありまして、現在はどうってこともないことなのですが、当時の、思春期の私は非常に深刻な悩みのように感じていました。また、当時は超能力などオカルトに興味を持っておりまして、その手の本をよく読んでおりました。

 そういう状況の下で高校生活を送っていたある日、少し怪しげな気功師の方と出会います。その方に色々と話を聞いたところ、私の体の不調が気功で治せるとのことでした。それで、私は喜んで習い始めました。しかし、通い始めてからしばらく経つと、やはり治すのは難しいとのこと。

 今思い返すと、そのような得体の知れない人物に頼った自分は、非常に浅はかであったと思います。その時、私は残念に感じましたが、その後も自己流で気功を続けていったのでした。

 それから数年経つと、朝に目覚めた直後の意識が朦朧としている時に、よく人の声が聞こえてくるようになりました。そして、予備校の寮に入り勉強に集中していた頃は、よく部屋のドアがドンドンと叩かれることがありました。しかし、ドアを開けてみると、誰もいないのです。不思議な体験(ポルターガイスト現象)ですが、当時の私は「誰かイタズラしているのだろう。」と信じ、疑いを持たないのでした。相変わらず、目覚めた直後によく人の声も聞こえるのですが、これは何か夢の類だろうと気楽に考え、気にせずにかなりの集中力で勉強を続けて希望していた以上の大学に合格しました。

 しかし、晴れて大学生になり一人暮らしを始めると、また新しい不思議現象に見舞われることになります。一軒家の二階の一部屋を間借りしたのですが、寝ていて眠りの浅いとき、夢現(ゆめうつつ)の状態の時に、私の方にたくさんの人の気配が近づいてきて、ガヤガヤと喋りながら近くを通り過ぎていく、そういう出来事が起こり始めたのです。週に何回も、そのうるさい集団が通り過ぎて行き、たまりかねた私は、大家さんに「夜に家の近くをうるさく通り過ぎていく人たちがいますね。大学生でしょうか。」と文句を言いました。大家さんは、それを聞いて不思議そうな顔をしていましたが、私の方は、穏やかに危機ながらも「それどころじゃない。」といった心中なのでした。この頃は、自分の方の感覚に問題があるのだとは、全く気がついていなかったのです。

 「これはうるさい部屋に住んでしまって失敗したな。」そう感じ、一年ほど経ってから引っ越しをします。今度は、二階建てのアパートの一階でした。なお、大学生になってしばらくしてからPHSを持つようになっていたのですが、この頃に携帯電話に変えています。そして、引っ越しをして数ヶ月後に、今思い出しても非常に苦しかった体験が待っていたのでした。

 例の、ポルターガイスト現象は引っ越し後にも時々起こっていたのですが、私は「このアパートにもガラの悪い輩が居るのかな。」という具合に気軽に考えていました。その後、引っ越しが終わりしばらくしてから、深夜に、自分の隣の部屋から男女の話し声が聞こえて来るという出来事が起こり始めます。私は何週間か我慢した後、深夜の一時頃に110番してしまいました。隣の部屋には、毎日違う人たちが訪ねて来ていたので、当時の私はカルト宗教の集会場ではないかと疑っていたのです。

 今思えば、この男女の声は幻聴であり、隣の部屋の住人とは無関係なのですが、当時の私は混同して考えていました。しかし、警察官が二人来た際に、私が「隣の部屋がヤバイです。」と文句を言っていたところ、タイミング良く隣の部屋に訪問者が来たことを不思議に感じ、よく憶えています。真っ黒なドレスを着て花束を持った若い女性が、深夜の二時少し前に、隣の部屋に遊びに来たのでした。そして、「ここ(隣の部屋)の住人はカルトではない。」との証言をして去っていきました。私は、その訪問時間の遅さ、タイミングの良さが非常に気になり、それを警察官に伝えました。そうしたところ、彼らは私と某巨大新興宗教団体との関係を聞いて去っていったのでした。私はその団体に、非常にアレルギーを感じ現在に至ります。

 その後、私に不思議な出来事が頻発するようになりました。

 深夜、アパートの前に黒いドレスを着た若い女性がおり、周りを男たちが取り囲んでいるのでした。それが、私を見て、その男たちが一斉にバラバラの方向に散っていく、そういう不思議な出来事がありました。

 そして、私が隣部屋の住人の声だと勘違いしていた男女の声ですが、ある日、その声(幻聴)が私の存在に気づくという、画期的な?出来事がありました。テレパシーのように頭の中で意志が通じ合い「あ、こいつ聞こえているぞ。」といった具合なのでした。それからは「私は神だ。」などと言いはじめ、なんと、私の行動を操ろうとし始めたりしました。つまり、典型的な統合失調症のケースに発展してしまったわけです。そして、毎日もの凄い勢いで「死ね!死ね!」などの罵詈雑言のオンパレードなのでした。その幻聴が聞こえるときには、非常に激しい頭痛も伴っていたのでした。当時、MRIかCTを受ける知恵が私にあったなら、脳に何らかの異常が見つかったかもしれません。残念ながらそういう知識はありませんでしたが。

 とにかく、そういう状態が何ヶ月も続くことにより、私は精神的に段々と疲弊していったのでした。はたから見ても、精神病患者か廃人にしか見えなかったはずです。もの凄い大声で幻聴が聞こえてくるので、私はヘッドホンを付けて、大音量で音楽を聴いて苦しみを和らげていたくらいなのですから。大学生でなかったなら、一人暮らしを続けることは不可能であったと思います。日常生活に支障が出るくらい激しい苦痛なのでした。そして、その頃の私の発言は怪しくなり、この出来事をうまく伝えられずに、友達も何人か失ったのです。

 症状として、道を歩くと、向かいから歩いて来る通行人が自分の悪口を言っているように感じました。しかし、よくよく注意して通行人の方を見ると、何も喋っていません。通行人が通り過ぎる際、タイミング良く幻聴が聞こえてきていたのでした。つまり、通行人が喋っているかのごとく、幻聴の主が私を騙しにかかっていたのでした。この時に適切な判断が出来なかったなら、その後の私の人生は変わっていたかもしれません。しかし、よく観察してみると、耳の外から聞こえてくる肉声と、頭の中から聞こえてくる幻聴の間には、確かな違いがあることに気づくことが出来たのでした。幻聴は、肉声よりもハッキリと頭の中に聞こえてくるし、聞こえ方が少し違っていたのです。

 しかし、例え肉声と幻聴の区別が出来ても、このような苦しい状態が続くと精神的に参っていくものです(幻聴による罵詈雑言等と激しい頭痛の、苦痛の二重奏でした)。「このままの状態が続くのなら、俺はもう駄目かもしれない。このまま醜態を晒し続けるくらいなら、死のうかな。」と、死ぬことさえも覚悟したのでした。当時の、統合失調症に近い状態であった私に正常な判断をする力があったのかどうかはともかくとして、格好が悪いから死んで終わりにしようかと悩んだわけです。しかし、その後、どうせ死ぬならもう少し頑張ってみよう。死ぬ前に、死ぬ気になってあがいてみようと、思い直します。

 私は、自分を危機的な状況から救ってくれるものは何か無いのか、藁にもすがる思いで探しました。カルト宗教の危険性だけは当時から認識していましたので、スティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』等を読み、これはヤバイぞ、苦しくてもこういう宗教団体には絶対に行ってはいけないぞ、と非常に警戒していたのでした。この本には、統一協会の幹部信者だった方が、御自分の入信から脱会まで、その後の救出カウンセリングの体験、カルト・マインド・コントロールの危険性等について詳細に書かれたものです。その頃の私は、このような本を読みつつも新興宗教団体に入りかけたりしたのですが、それだけ、正常な判断をする力がなかったということです。

 その後、不思議な縁がありまして、古本屋でC.A.ウィックランド著『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』という本と出会います。この本との出会いが、私にとって救いの糸口になるのでした。この本の内容を簡単にまとめますと、アメリカの精神科医が除霊という方法で精神病患者を治していくというものなのでした。私を苦しめる声が現れる前でしたら決して読まない本でしたが、この頃の私には非常に興味深い本に変わっていたのでした。

 ところで、この頃の私は精神科に行くことを避けておりました。精神科に行く→統合失調症と診断される→精神病院に入院、というルートが固定観念としてありましたので、もう二度と日常生活を送れなくなるかもしれない、親にも迷惑がかかる、そういう理由で避けていたのでした。


 
現在は、幻聴が聞こえ始めた場合、必ずしも精神科に行くべきではないと感じています。症状により変わってくるということです(幻聴の症状に関するケーススタディ)。しかし、無知な当時の私は、精神科以外の選択肢を知らなかったのでした。


 しかし、今考えると、その選択が最前であったという自信はありません。だから、行かないことを決して勧めしません。私を含めた日本人にとって、精神科にかかっている人は人間性までも疑われかねないという風潮があるように感じます。そうこう悩んでいるうちに、こじらせて悪化させてしまうことも多いのだそうです。現在は、精神科で診察を受け薬を飲み続けることにより、かなり高い確率で治るという話を聞きました。あまり構えずに、風邪を治しに行くように、気軽に行行くことが出来たら、いいのかもしれません。医学博士が執筆した、これから読むのが楽しみな本にH.M.クレックレー著『私という他人・多重人格の精神病理』があります。

 ところで、精神科医である著者が、退行催眠という手法で患者を治療していたところ、偶然、患者が生まれる前にまで遡ってしまったことにより様々なことを知るという、ブライアン・L・ワイズ著『前世療法』や、作家である著者が北海道に山荘を建てたところ、激しいラップ現象等の異常現象に見舞われ始め、霊障だと解釈された著者は霊能者の方々を頼るのですが、その過程で様々なことを体験をされていくという、佐藤愛子著『私の遺書』などの書籍を現在までに読んできました。私にとって非常に勉強になる内容であり、今後、折を見て触れていきたいと考えています。

 それでは、話を元に戻します。この『精神科医ウィックランド博士の迷える霊との対話』の内容を簡単に説明しますと、ウィックランド博士の夫人を霊媒として精神病患者に憑いている霊(憑依霊・低級霊)を呼び出し、博士が対話をし諭していくことにより、霊を様々なしがらみから解放し、患者を治療するというものです。私は読み、この本において霊媒を通して喋っている憑依霊が、自分のケースでは、私の頭の中に直接に話しかけてきているのだと理解しました。

 つまり、幻聴を心霊的に解釈すると霊聴ということになるのですが、私のように声に攻撃されているケースでは、憑依霊・低級霊との関わりにより、低いレベルの霊聴が聞こえている、ということになります。そこには、高いレベルの霊の声に感応する予言者や霊能者などとの間に、明確な隔たりがあるわけです。

 私は、この本が縁となり、ある協会に入会することとなるのですが、その会に行ったところ霊能者の先生がおりまして、私が自分の体験を話すと大変心配していただきました。そして、驚くような体験が毎週のようにありました。その体験の一つを書きますと、通い始めた当時、私はこの協会と平行してある宗教団体とも関わりがあったのですが、それを言い当てられ、「偏りのある宗教団体に所属するのは良くないことです。」と助言をいただけたことです。指摘され、私はすぐに辞めたのですが、今思い出しても、そこは「カルトの定義」によく当てはまる新興宗教団体でした。

 私は、その協会に通いはじめ、段々と快方に向かい現在に至ります。通い始めた頃は、統合失調症患者に非常に近い状態であり、協会の方々には非常にご迷惑をおかけいたしていたことと思います。そして、私は心霊を学ぶ者としては、現在に至っても非常に無知であり全くもって未熟なのです。しかし、いくつかのことは心に染みて確信しました。

 一つは、死んで肉体が滅びても、精神、つまり魂は生き続けるということなのでした。自分の体験から、そして今まで読んだ書物から、この霊魂不滅の原理は真実であると、その確信を得ています。そして、それが判ると、考え方もおのずと変わることに驚いています。(思想・信条は人それぞれで自由であり、私のの場合はそうだということです。)

 もう一つは、自分が幻聴(憑依霊・低級霊)に苦しめられ続けたのは、自分の心境が低いことも非常に影響していたと判ったことです。気功をすることにより、この世とあの世を隔てていた壁に穴が開き、霊の声が聞こえるようになったのですが、私が普段考えていることが低俗であったために、低い霊が感応したのでした。

 ということは、つまり、自分が高い心境に至れば、それに応じた霊の感応が得られるということです。それは、書くことは簡単ですが、並大抵な努力では出来ないことなのでした。今まで下を向いて生きてきたのを、急に上を向いて生きていけるように修正するのは非常に難しいことです。私の場合も、幻聴によりに精神的に苦しく、激しい頭痛も続いている状態の中で修正を試みたため、最初は、非常に辛いものがあったのでした。そのような中で良い方に向かったのは、協会、そして多くの本(様々な分野の)との出会いが、心境を改善させることに非常にプラスになったからだと思います。特に、協会の方々には感謝してもし足りないくらいであると感じています。

 それでは、今回は以上の内容になります。今後も、自分の体験をふまえ、現在までに読んできた本、これから読む本を題材に、幻聴等の現象について触れていきたいと考えていますので、よろしくお願いいたします。


 現在の私は、この件に関して、気功自体が問題なのではなかったと感じています。当時の私は、気功をすることにより精神力が強くなることを欲していましたし、実際に強くなっていったのでした。しかし、実際は、精神力が強くなっていくと共に、それまで気づかなかった、低いレベルの霊との接点も出来ていったのでした。当時の私が低俗な考え方をする人間であったことも原因となり、同じように低いレベルの霊と感応した部分があった、そういう面が確かにあったように思うのです。

 気功をする前の私には、何をしても上手く行かないような所がありました。しかし、気功をして精神力を鍛えだしたところ、それまでになく気合いが入ってきたのでした。そして、希望していた以上の大学に合格したりもしました。ところが、ほぼ時期を同じくして、何やら訳のわからないような、不気味な現象も起こり始めたのでした。その実態は、何であったのでしょうか。それは、霊的に私を押さえつけていた者たちであったのではないか。現在、私はそう感じています。

 「ああ、こいつなんだか強くなって来やがったぞ?直接懲らしめてやろう。」低いレベルの霊のそういう考えの下、まず私の周辺で不思議なことが起こり始め、ついには、霊が直接私の頭の中に語りかけてくるようになったのでした。そして、それは私に縁のある霊の中に、未浄化の霊が少なからず存在することにより起こったことなのだと感じています。つまり、私の精神力が強くなることにより、未浄化の霊が表面化してきたのでした。当時の私は本当に大変な思いをしました。しかし、この体験をすることにより、私は素晴らしい世界の存在を知ることともなったのでした。(2005年3月3日)