幻聴が聞こえたら

私たちはいかに生きるべきか その③ ~『レッドマンのこころ』に学ぶ~

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2006年7月9日
2009年3月21日 修正




はじめに

 今回は、アーネスト・シートン[著]近藤千雄[訳]『レッドマンのこころ』(北沢図書出版)の内容に沿い進めていきます。本書の著者であるアーネスト・シートンは『シートン動物記』の執筆者でもあり、米国ボーイスカウト団の初代団長でもあった人物です。彼には、ある不思議なきっかけから、北米インディアンの調査・研究を始めたという経緯があり、その成果が同書に結実したのだそうです。

 まず、私が同書を読みはじめた端緒について書きますと、『シルバー・バーチの霊訓』シリーズを読み始めたことが、きっかけになっています。その内容において、シルバー・バーチ霊が「私は約三千年前に地上に生を受け、北米インディアンとして一生を終えました」と述べられている場面がありまして、それが、私には意外に感じられたのでした。
 
 なぜならば、その当時の私には、インディアンに関して”西部劇”に登場する彼らくらいの知識しか有していませんでしたので、知らず知らずの内に、差別的な見方をしていたからです。ところが実際は、インディアンは、霊的真理に精通しているのです。そして、前述のように、シルバー・バーチ霊は、自分は生前はインディアンであったと語られています。そのような事柄を知り、私は、インディアンの本当の姿はどの様なものであったかと興味を持ちまして、同書を読む事にしたという次第です。


ホワイトマンとレッドマンの間の文化の違い

 著者は、白人(ホワイトマン)とインディアン(レッドマン)の文化を明確に区別しており、前者の文化は”物質的”であり、後者の文化は”霊的”であると定義しています。そして、前者のそれにおける成功とは、「己がどれだけ富を獲得したか」という利己的なものなのであり、後者におけるそれは、「仲間にどれだけ役立つことをしてあげられたか」という利他的なものなのだそうです。

 前回取り上げた『霊界からの手記』においては、著者であるスウェデンボルグは”天国と地獄の違い”を次の様に定義しています。「天国は生命と調和の国なので、そこで霊たちはひとり(霊?)の幸福は万人(霊?)の幸福、万人の幸福はひとりの幸福という形の幸福を享受している。つまりここは連帯の世界だ。これに反し地獄はひとりひとり(一霊一霊?)の利己的欲望の世界なので、調和はありえず連帯とは逆の分裂の世界になっている。(『霊界からの手記(中)』79,80頁)」この定義に照らし合わせる事により、ホワイトマンの文化は地獄的なものであり、レッドマンの文化は、天国的なものであると考える事ができます。


レッドマンの社会生活

 同書の52から53頁においては、インカ族を例とした記述がなされていますが、ジョージ・マードック教授によると、インカ族に限らず、レッドマンの社会組織は理想的なものであったのだそうです。

 第一に、レッドマンの社会組織においては富が集中するという事がなかったのであり、それは、所得の再分配がうまくいっていたからなのだそうです。それに対して、現在の世界は、先進国に住む上位2割の高所得者層が、世界の富の9割近くを寡占しています。また、近年は、日本国内というスケールにおいても、所得の格差が拡大しているという事が明らかになっています。富裕な層が存在している一方で、極めて貧しい生活を余儀なくされている人々が、とても多く存在している、その様な状況は、国際社会においても、一国中においても、所得の再分配がうまく機能していないことを意味しているのではないでしょうか。

 次に、同教授は、その社会においては、弱者、病人、老人の面倒がしっかりとみられていたという事を明らかにしています。それは、雇用、医療・福祉などのセーフティ・ネット(安全網)がうまく機能していたという事を意味します。彼らにとって、一個人が苦しみの中に放置されたままになっている状況が存在するとすれば、それは、部族全体が危機に陥っている時でしかなかったのだそうです。

 その様でない限り、貧しい者、病弱の者、年老いた者、未亡人、孤児、という社会的な弱者の面倒を見ることは、最優先されていたということです。それに対して、現在の日本においてはどうでしょうか。少子高齢化の進展、失業率の上昇、非正社員の増加、年金保険料の引き上げ、介護給付費の抑制など、様々な問題が表面化して来ています。それは、レッドマンの社会が現実離れしたものに感じられるほど酷いものなのであり、それに近づくどころか、一方向的にかけ離れて行ってしまっている様な現状があるわけです。

 天然資源については、レッドマンは、資源の乱獲は決してしなかったのだそうです。果物でも野生動物でも、必要な分だけとり、それ以上は決して取らなかったという事です。それは、”誰一人としてそれをこしらえることができないから”なのであり、必要以上に野生動物を殺すことは、彼らにとっては極めて不名誉なことだったのだそうです。

大量生産・大量消費の時代に生きている現代人の多くに、そのような意識が希薄であることは明らかですが、天然資源に関しては、エネルギー危機と地球温暖化という問題が存在します。アメリカは、石油の消費量が世界一(世界全体の消費量の約4分の1を消費)なのだそうですが、中国は、近年における凄まじい消費増により、すでに日本におけるそれを追い抜いているのであり、近い将来、世界で採掘される石油は、すべて米中によって消費し尽くされるだろうと予測されています。

 そして、それを消費した際に排出される二酸化炭素は、地球温暖化の原因だと云われており、事実、これ迄は100年間に0.01℃気温が上昇していたところが、20世紀においては、100年間で0.7℃上昇したのだそうです。これは、産業革命以降、人類が化石燃料を燃焼させはじめた事に原因を求められているのですが、更に、これからの100年間で2~3℃上昇すると警鐘が鳴らされています。また、この気温の上昇は、実は、現在における気象変動と密接に結びついるのであり、中国が大干ばつに見舞われ、毛沢東の農業政策に大打撃を与えた(文化大革命のきっかけになった)のも、94年に北朝鮮における農作物が壊滅したのも、カトリーナをはじめとするハリケーンの巨大化も、人災なのだという説もあります。


○子供の教育

 現代の日本において、児童虐待の蔓延は深刻な問題です。日本における04年度の相談件数は32,979件であり、前年度比で24パーセント増、99年度と比較して、三倍近くに増加しているのです。虐待の被害者であった児童が成人し、親になり、今度は自分の子供を虐待するケースが極めて多いことを考えると、現代社会における、利己的・唯物的なものの考え方の浸透、世代を越えた虐待の連鎖、私は、両者の間に相関関係がある事を感じずにはいられません。そして、社会が病的なものであるが故に、一個人も病的となり、その事が児童虐待につながっているという面もあるのではないでしょうか。

 それに対して、レッドマンの社会においては、いかなる子供も家庭・食事・養育・しつけだけは必ず受けられる様になっていたのであり、また、子供に暴力をふるうことが強く戒められていたのだそうです。暴力は、憎しみや憤りを植えつけるだけなのであり、無力な子供に暴力をふるうような者は、野獣か臆病者なのだそうです。だから、彼らは決して暴力をふるわなかったのであり、諫めたり、戒めることにより子供をしつけていたのです。

○もの言わぬこころ

 彼らは、自分たちが、自然や動植物を支配するような存在だとは考えておらず、むしろ、それらと共存・共生する存在だと感じていたのだそうです。そして、”無言・沈黙”が”身体・精神・霊がバランスよく調和している状態”の表象であると信じていたのであり、しゃべるという(人間以外の動物が持っていない)能力は、危険をはらんだそれであると感じていたとのこと。スウェデンボルグ氏は、”人間が幸福な状態”について、次の様な定義をしています。

「幸福とは、霊→ 心→肉体感覚という上のレベルからの下降の流れも、肉体→肉体感覚→心→霊という下のレベルからの上昇の流れもどんな原因によっても妨げられずにいつもスムースに流れている状態である。そういうハーモニィがいつも達成されている状態」(『霊界からの手記』(中)47頁)。そして、レッドマンの老酋長ワバシャは、次の様に述べています。「若いときに口を慎む心がけを身につけておけば、老いてから、部族の者にとって役に立つ思想が熟します」

 私は、就寝する前の数十分間は、目を閉じて坐り、心をゆったりとさせるようにしています。私がその様な行為を始めたのは、現代を生きている自分には、心を落ち着かせたり、自らを省みる時間が必要であると感じたからですが、それは、目を閉じ、精神を統一させることにより、身体・精神・霊の調和を得る事を意図しているわけです。

○純潔と正直さ

 日米中韓の4カ国において、高校生を対象として実施されたアンケート、「高校生の生活と意識に関する調査(2003年実施)」によると、「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対して、日本の高校生は、33.3%が肯定したのだそうです。他の三カ国においては、米国52.0%、中国75.0%、韓国73.8%でしたので、日本の高校生はかなり低いということがわかります。また、1999年に行われた「青少年の性行動全国調査」によると、1974年から1999年の間に、若年層における性行為の経験率が、大幅に上昇していることがわかります。例えば、大学生女子の場合、1974年において性交の経験率が11.0%であったのが、50.5%へと、5倍近く上昇していまして、一体、この間に何が起きたのだろうと考えさせられるほどの変化が生じています。

 この事については、一つには、戦後から現在まで続く、米国的な価値観の浸透が影響している事が考えられます。米国の若者発の、ヒッピー文化等に影響を受けた日本の若者たちは、信仰的な心の支えが無いことも災いし、現在に至るまで、本家アメリカの若者以上に、性的な倫理意識が低下した状態が続いている様に見えます。

 一方、インディアンにとって、長い間、純潔や正直は当たり前の事でした、その様な事実は、彼らが、現代人よりも、むしろ”アダムの時代の人々”に近かったことを示しています。もっとも、アダムの時代の人々も、世代交代を繰り返すうちに、少しずつ堕落していったのですが、インディアンは、生活と思想の中心を霊性におき、厳格な修養を怠る事がなかったため、近年まで、高い倫理道徳観を維持する事ができたのではないでしょうか。少なくとも、白人が北米大陸に現れる16世紀頃までは、彼らは、霊的で利他的な生活を維持していたのです。

 『アメリカ南西部の古代生活』の著者エドガー・ヒューエット博士は次のように述べています。「レッドマンがわれわれの文明よりも高度なものを生み出していたことに疑いの余地はない。唯一の弱点をあげるとすれば、金属を活用する技術をもたなかったことである…美的感覚においても、倫理・道徳においても、また社会生活においても、インディアンはその征服者たちを凌駕していた…」

インディアンの教え


○四つの教訓

(1) 唯一絶対の大霊が存在する。万物の創造主であり支配者である。われわれはその分霊としての存在を有する。
(2) 地上に誕生した人間が第一に心がけねばならないことは、人間として円満な資質を身につけることである。
(3) 成人としての高度な資質を身につけたら、その資質を部族ために捧げないといけない。
(4) 人間の魂は永遠に不滅である。

○十二の戒律

(1) 神はただ一つ、“大霊”がおわすのみと心得よ。
(2) 大霊を形あるもの、つまり目に見える存在として描いてはならない。
(3) 言葉の信義を神聖に保つこと。
(4) 祭日を大切にし、インディアンダンスをきちんと習い、タブーには敬意を払い、部族の習慣を守ること。
(5) 父と母、およびその父母を尊敬し、その言に従うこと。
(6) 殺人を犯すべからず。
(7) 思考と行為において常に純潔であれ。結婚時の互いの誓いを忘れず、人に同じ誓いを破らせることがあってはならない。
(8) 盗むべからず。
(9) 必要以上の富を蓄えてはならない。
(10)健康に有害な火酒類(ウィスキーのような度の強いアルコール類)に手を出すべからず。
(11)つねに清潔を心がけるべし。
(12)自分の生活を大切にし、それを完全なものとし、その中で生じるものをすべて美化し、自分の力と美を誇りとせよ。


 インディアンは、宇宙の創造主である大霊に関する高度な知識、霊性と愛と真理を基調とした信仰を持っていたのだそうです。インディアンの中にそういう人が居たということではなく、彼ら皆が、その様な知識と信仰を有していたということです。そして、彼らがその様な状態であったという事は、彼らが”アダムの時代の人々”に近い天国的な資質を持っていたことを意味します。四つの教訓と十二の戒律の内容に目を通しますと、シルバーバーチ霊が語る霊訓にしれと、共通点の多い事に気付かさせられますます。

 レッドマンは、霊的真理に精通し、身体・精神・霊の間の調和を大切にし、利他的であり、頑強な肉体・社会的ならびに道徳的な規範を身につけるために、厳しい鍛錬を絶え間なく続けていたのだそうです。そのため、彼らの心身は健康であったのでした。その彼らが構成する社会組織もまた、法と秩序による支配、社会的な弱者に対する保護が行き届いていたのであり、富が一人の人間に集まり過ぎた際は、他の人に分けてあげる様な習慣があったのでした。つまり、社会組織も、きちんと機能していたのでした。彼らの生きた時代は、本当の意味で、自然と共生することができていた時代だったのではないでしょうか。私には、個も組織も環境も、非常に健全な状態であった様に感じられます。


結論として

 著者は、エピローグにおいて、文明は何を尺度として価値を評価すべきかを列記し、白人(ホワイトマン)の文明は失敗であったと結論付けます。本書の執筆当時でさえ、その文明が崩壊していく兆候を、身のまわりからいくらでも見出すことができたのだそうです。そして、著者は、その失敗の原因は”拝金主義”にあるのであり、西欧的物質文明のもとでは、「一人の億万長者が出る一方で億の単位の貧困者が生み出される」ばかりであり、その様な荒廃のもとでの幸福はあり得ないと主張します。

 それを霊的な面から解釈すると、利己的な文明は、霊界における地獄的な面と感応しているのであり、その様な文明は幸福な状態に結びついていかない、という事になるのではないでしょうか。アダムの時代の人々やレッドマンは、利他的であったのであり、自然の法則に従った、霊的な生活を送ったので、霊界の天国的な境涯と感応していたという事です。

 ホワイトマンは利己的であり、物質に偏重した生活をしているので、地獄的なそれと感応してしまっている事が考えられるのです。前者においては、個も組織も環境も、とても健全な状態であった一方、後者においては、個も組織も環境も、病んだ状態に陥っているのであり、現在においては、本書の執筆当時よりも、より好ましくない状態になっているように感じられます。日本人も、西欧物質文明のレールに乗って現在に至るわけで、私たちが、精神性の低下、機能不全に陥っている社会、自然破壊により悪化した環境、これらの病的な個・組織・環境の問題を抱えていることは間違いのないところです。

 それでは、私たちには何ができるのでしょうか。まず第一に、私たちは、心身ともに健康であるべきだと思います。何らかの原因により、心身が病んでしまったとしたら、健康な状態を目指すのは当然のことですし、一個人にとって、健康であるということはとても大切な事なのではないでしょうか。そして、自身が、心身共に真に健全であったとして、その時、社会や環境が病的なものであったとすれば、その状態をよい方向に変えていきたいという気持ちが芽生えてくるのは、自然な事なのではないでしょうか。

つまり、私たち個人は、心身共に健康的であるべきなのだし、その事を前提として、個人の集合体であるところの社会組織や環境の健全化が可能なのだと思います。逆に、病的な個人が、病的な社会や環境を健全な状態に変えることは困難な事なのではないでしょうか。その様な次第で、まず私たちは、自らの心身を健全な状態へと移行させる事を目指すべきですし、その為には、精神的な豊かさ、利他的な生き方、自然との共生などについて考えていくべきである様に感じられます。もちろん、社会を健全化させる為の手段の一つとして、かつて存在した、理想的な社会から学ぶことも忘れてはいけないでしょう。(本記事の内容は『レッドマンのこころ』の一部分を基に構成されています)


[参考]

10年後の日本』(文藝春秋)
ビッグイシュー日本版』53号