幻聴が聞こえたら

呪詛を受けたことにより生じる諸症状

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2005年7月11日
2009年1月26日 修正


 先日、中村雅彦[著]『呪いの研究 ~拡張する意識と霊性~』という本を読む機会がありました。勉強になる本であると感じましたが、その内容において、呪詛を受けた際の症状についてふれられていました。幻覚とも関わりのある内容ですので、今回は、その内容について書いていくことにします。

呪詛を受けた(呪われた)ことにより生じる諸症状


(1) 身体的症状=発熱、めまい、耳鳴り、疝痛、偏頭痛、悪寒、吐き気、全身倦怠感が定期的(一週間程度)、定時的(特に夜間)に生じるのが初期症状。呼吸困難、運動機能障害、手足の動きが鈍くなったり、しびれを伴う。やがて内臓疾患、特に従来から機能の弱っていた臓器に急性の症状が現われ、急速に悪化する。どこが弱るかは個人差がある。医者にかかると自律神経失調症、更年期障害、風邪などと診断されることが多い。投薬治療を受けても症状の改善はない。内臓疾患の場合、潰瘍、悪性新生物(ガン)もある。重篤な状態に至り、緊急入院、外科手術を受けたりする。

(2) 精神症状=
悪夢、金縛り、幻覚(夢か現実かわからない恐怖を伴うビジョンに襲われる)を定期的、定時的に繰り返す。異様な眠気に襲われる。やる気や気力が失せ、抑鬱感が高まる。情緒的に不安定。焦燥感。イライラ感。軽い神経症に似る。

(3) その他の症状=
身体から悪臭が漂う(体臭ではない)。飼っていたペットが突然死する。神仏への供物、食物全般の腐敗が急速に進む(季節、温度に関係なし)。こうした状態が続くため、仕事に対する動機づけが低下して収入が激減したり、イライラしやすくなったりして人間関係のトラブル(喧嘩、いさかい)も続発する。やることなすことがことごとく裏目に出る。(中村雅彦[著]『呪いの研究』(トランスビュー)40頁より)

 以上が、呪詛を受けた事により生じる症状の分類になります。著者によりますと、実際には医学的な症状が生じているケースであるのに、本人が呪詛の被害にあっていると思い違いをしているケースが多いのだそうです。その様な傾向は、現在において、益々強くなっているのではないでしょうか。

 呪詛を受けた際の症状として、発熱、めまい、耳鳴り、偏頭痛などの身体的症状が生じ、何に対してもやる気が無くなる、とのこと。その様な状況下では、問題を解決するために行動すること自体が、非常に困難な状況に陥る事が考えられます。しかし、


 ・初期症状が一週間程度、定時的に発生する
 ・悪夢、金縛り、幻覚、が定期的・定時的に発生する
 ・身体から悪臭が漂う(体臭ではない)


 とりわけ、上記の諸症状が重なった様な場合においては、呪詛を受けたか否かを判断する際の、キーワードになり得るのではないでしょうか。例えば、部屋全体に悪臭が充満する様に感じられる現象が生じた場合などは、それはオリジナリティーのある現象なのであり、それ故、それが一つの目安になると考えることができます。

呪詛を受けることになる原因について

 まず、人に恨まれる様なことをしない事が、呪詛を受けない為の秘訣ではないでしょうか。それは、人に恨まれる様な行為は、呪詛を受ける原因となるからです。しかし、清廉潔白な生活態度で日々を過ごしていたとしても、呪詛による被害を受ける危険性がないわけではありません。私が感じますのは、当人が、カルト的な傾向を有する団体と接点をもった様な場合、その人が呪詛による被害を受ける確率が飛躍的に上昇するのではないか、ということです。主に次の様なケースが考えられます。

 ・カルト的な傾向を有する団体に一度加入したが、その後、脱会した
 ・両親がカルト的な傾向を有する団体の熱心な信者(シンパ)であるが、子供である当人はそれを拒絶している
 ・カルト的な傾向を有する団体への加入を拒んだ
 ・カルト的な傾向を有する団体との利害関係が生じた

 同書において、新興宗教団体が脱会者に対して霊的虐待を行うプロセス・霊的虐待が疑われる場合の対応策、についてふれられています。前者は、現世利益を求めて新興宗教団体に入信した人が、望んだだけの効果が得られず脱会し、その後は、新興宗教団体による引き留め工作、呪詛、嫌がらせなどを受けつづけるという、その過程について描写されています。そして、後者においては、その被害が疑われる場合の対応策について書かれています。

呪詛は本当に存在するか

 私は、それが存在するという事を確信しています。心霊治療を行うヒーラーや心霊治療家が存在するように、逆の作用を及ぼす、呪詛を行う祈祷師も存在すると考えるのは自然な事です。すると、人間の心身に対して、心霊治療家が好ましい作用を及ぼすのに対し、呪詛を行う祈祷師は、好ましくない作用を及ぼす、ということがいえます。ところで、現代においては、呪詛の存在は法的に認められていません。従って、それを取り締まる法律は無いのであり、野放しの状態であるわけです。しかし、旧刑法の前身である「新律綱領」には、呪詛を取り締まる法律が規定されていたのだそうです。心の大切さを忘れ、唯物論的な価値観に偏重している現代社会こそが、呪詛を行う様な怪しき者たちにとっては好都合な社会なのではないでしょうか。

 以上。今回は、呪詛についてふれさせていただきました。