幻聴が聞こえたら

カルト宗教団体に入信することと本当の信仰心を持つことの違い

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2004年12月19日
2006年5月7日 修正

表面的に似ているが、中身の全く違うもの

 今回は主に、本当の信仰心を持つことと、カルト宗教団体に所属すること、により個人が受ける影響の違いについて書きます。
 宗教とは人間の精神的な支えとなるべきものだと私は考えています。つまり、仏壇の前で先祖の霊の心安らかであることを祈る、教会で神のご加護があることをお祈りする、罪を懺悔する、などの行為をすることにより人はポジティブな影響を受けるべきであるし、実際に受けていると考えています。

 それに対して、カルト宗教団体は、人にネガティブな影響を与えます。例えば、スティーヴン・ハッサン[著]浅見貞雄[訳]『マインド・コントロールの恐怖』という本が手元にあります。以前にもふれましたが、この本には、統一協会の幹部信者だった筆者が、自分の入信から脱会までの体験、そしてその後の救出カウンセリングの体験、つまり、カルトやマインド・コントロール等について詳細に書かれています。

 >> カルトと指摘された団体・人物の一覧 - Wikipedia

以下、その一節です。

二重人格-カルトのメンバーを理解する鍵

 選択の自由を与えられれば、人々はいつも自分にとって最善と信じるものを選ぶだろう。これは予測できることである。しかし何が「最善」なのかを決めるその倫理的な基準は、そのひと自身のものでなければならない。マインド・コントロールの環境の中では、その選択の自由こそ、人が最初に失うものである。失う理由は基本的には簡単である。カルトのメンバーは、もはや自分自身として機能していない。かれは新しい信念と新しい言語を持った新しい人工的なカルト的人格構造を持ってしまっている。カルトの指導者たちの教義が、カルトの新メンバーの現実に対する「マスター地図」となる[「マスター・キー」(親鍵)のように]。

 マインド・コントロールのカルトのメンバーは、以前の自己とカルトの自己とが戦争状態になる。だから、カルトのメンバーと接するときには、彼がふたつの人格を持っているのだということをいつも心にとめておくことが、とても大切である。

 多くの場合、カルトのメンバーの肉親は、この二重人格に気づくと、はじめは混乱する。カルトに取り込まれた最初の数週間または数か月、新しい人格が一番優勢な時期には特にそうである。彼は、ある瞬間には敵意ある態度や知ったかぶりのエリート的な態度でカルトの専門用語をしゃべっている。それから予告もなしに、むかしのままの態度と癖をもった彼へもどるように見える。ところがまた突然、彼はひょいと見知らぬ人間に変わってしまう。こういう行動は、私のようにカルトのメンバーと関わっている者には非常になじみ深いものである。

 便宜上私は、このような二重人格を「ジョンのジョン」と「カルトのジョン」というふうに呼んでいる。「ジョンのジョン」とは、彼がいちばん以前の「ジョン」らしいときの名で、「カルトのジョン」とは、彼がカルトの「クローン人間」であるときの名である。ふつう、ある瞬間にはこれらふたつの自己のうちのひとりだけが意識にのぼっている。大部分の時間、任務についている人格は、カルトのジョンである。ごくとぎれとぎれに、むかしのジョンがそれと交替する。家族の人々が、ふたつの人格のパターンの違いに敏感になることが大切である。それは、彼の話の内容とコミュニケーションのパターン、つまり彼の話し方や行動の仕方の両方でわかる。ジョンのジョンとカルトのジョンは、はっきりと違った様子を示し、はっきりと違った話し方をするものである。

 カルトのジョンが話しているときは、彼の話し方は「ロボットのよう」、あるいはカルトの講義のテープ録画のようである。私はこれを「テープ」と呼んでいる。彼は場違いな熱烈さと声量で話す。典型的な場合、ジョンのジョンに較べて彼の姿勢はしかめしく、彼の顔の筋肉はこわばっている。彼の目は「無表情」、「冷たい」、あるいは「どんより」という印象を家族に与える。また彼は、しばしば、人々を通りこして向こうの方を見ているように見える。
 それとは反対に、ジョンのジョンが話しているときは、彼の話し方には感情の広がりがある。彼の表情は豊かで、自分の気持ちをためらわずに知らせようとする。彼は自発的になり、ユーモアのセンスさえ示す。彼の姿勢と筋肉組織はゆるんで、温かく見える。目線のふれあいは自然になる。

 分裂した人格をこのようにすっぱり記述すると、単純化のしすぎだと思われるかもしれない。しかしこれは、驚くほど正確なのである。だれかと話していて、話の途中にその人の体へ違った人格が乗り移ったと感じるのは、不気味なものである。このあとに続く諸章で述べるとおり、変化に気づくこと、そして適切に行動すること-これこそ、その人の真の自己の扉を開いてカルトの束縛から解放する鍵である。
(スティーヴン・ハッサン[著]浅見貞雄[訳]『マインド・コントロールの恐怖』恒友出版。138頁より)

 以上、カルト宗教団体に入信してしまった人間が異常な(マインド・コントロール)環境下におかれ、正常な判断をするための「選択の自由」を失ってしまった状況の一端について書かれています。そのような状態に陥った人間(信者)は、精神の内部で「正常な人格」と「新しいカルトの人格」との間で主導権争いが起こり、心の内戦状態になるのですが、筆者は、その状況を二重人格(解離性同一性障害)の状態であると定義しています。

 解離性同一性障害(DID)は、幼児期に性的虐待などを受けることにより、心に傷を受けた主人格が肉体から解離(後退)することにより発生するといわれています。本書のケースでは、カルト宗教によるマインド・コントロールにより、信者をそれまで支配していた主人格(正常な本来の精神)が肉体から後退し、新しくカルトの教えを遵守するロボットのような人格(カルト的な精神)が生み出され(どこからかやって来て)、肉体の支配をはじめ、そして両人格の間で精神的な葛藤が発生したと考えることができます。

巧妙化するカルト

 また、本書が発行されてから十年以上の月日が経ちますが、私は、現在のカルト宗教団体は本書で書かれている以上に巧妙になっているように感じています。現在では、カルト団体のメンバーが本書のような書籍を読み、尻尾を出さないように研究していると考えられるからです。

 そのような状況を考えると、本当に自分の身を自分で守りたいのであれば、無知であることは致命的であるように感じられます。精神的に弱まった状態で心の支えとなるものを求める場合、その過程で、もし、カルトの定義に合致するような団体に入信してしまったならば、求める状態とは全く逆の、非常に危険な状態に陥ってしまう可能性があるからです。そうならないためには、普段から書籍などを読み「自分で判断する力」と「幅広い分野の知識」を養っておくことが必要ではないでしょうか。

教育面における問題

 日本の学生は、義務教育期間中に宗教や道徳について十分な教育を受けさせてもらえていないのではないか。少なくとも、私はそう感じています。それは、明治時代以降の神道の扱われ方、および太平洋戦争の敗戦と関わりのあることです。だから、私の場合は自分でそういう分野の本を読んで勉強したのですが、その分野の知識が現代の若年層に不足していることの影響が、統計にはっきりと現れています。

 同じアジアの民族である韓国人や中国人に対しても、日本人の若者の性倫理的な意識は非常に低下しているのです。具体的には、財団法人「一ツ橋文芸教育振興会」と「日本青少年研究所」が2003年に実施した、日本・アメリカ・中国・韓国の4か国の各1000人余りの高校生を対象にしたアンケート「高校生の生活と意識に関する調査」によると、日本の高校生の「結婚前は純潔を守るべき」との設問に対する肯定が、日本は33.3%(米52.0%、中75.0%、韓73.8%)と著しく低くなっています。この結果には、道徳教育がしっかりと行われてこなかったことが少なからず影響していると考えることができます。

 そして、日本の主要宗教である神道や仏教についても堂々と教育が行われてこなかったことにより、日本人の宗教観があやふやになり、怪しげなカルト宗教団体が幅をきかせるような現状が生み出されてしまったという経緯があります。

 先日、梅原猛[著]『梅原猛の授業 道徳』という本を読みました。この本は、著者が京都の中学生に行った道徳の授業を活字にしたものですが、「何故人を殺してはいけないか」など、道徳的なことを考える際の助けになるような内容になっています。私はこの本を読み、自分で様々なことを考える際の材料になる良い本だと感じました。

死後の世界に対する意識

 宗教についての意識があやふやであり、カルトも混在している現代の日本社会においては、死後の世界の存在についても否定的な見方が当たり前のようになっています。しかし、これはあまり良くないことなのではないのでしょうか。「人間は死後に無になる」という唯物論的な考え方からは、ポジティブなものは生まれにくいように感じるのです。そして、それに対して、死後も魂は存続するという輪廻に思想からは、非常にポジティブな考え方が生み出されるように感じます。

 死後も魂が存続すると信じることにより、誰も見ていないようなところでも悪事はできない、実りが少なくてもコツコツと努力することは無駄ではない、他者に対して優しく寛大であることは、実は非常に見返りのあることだ、と実感できることは有益なことなのではないでしょうか。唯物論的な考え方の中から、守銭奴のような人間や悪人を改心させる方法を見つけ出すことは容易ではありません。

 そして、死後の世界があると仮定することにより、新しい可能性、新しい見方を得ることができます。物事を正確に理解するためには多角的な見方をすることが必要ですが、心霊的な見方もその役に立つということです。

 『朝日現代用語・知恵蔵2004』によると、「
宗教」とは、「学術用語としての宗教の違いは学者の数だけあるといわれ、統一した見解があるわけではない。辞典類によると、神仏などの超自然手存在に対する信仰、教義、儀礼、組織などをもって宗教と定義している。しかし、宗教と呼ばれる現象が多様化し、しかも宗教と宗教でないのの境界があいまいになってきた現在、改めて宗教を問い直す必要がある。最も包括的には「宗教とは、本来自明でない超自然的な存在に関わる事柄を、自明な物に変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置である」と定義できよう。神仏を始めとする超自然的存在は、本来自明(当たり前)ではない。しかし信者はそれを当たり前と考え、改めて疑うこともせず、また時として、その存在について問わないことを強いられる。さらに、信者は日々の生活や儀礼を通して、超自然的存在が自明のものであるかのように振る舞う。このように、人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、人間が作った仕組みが宗教である。」だそうです。

 しかし、こうも言えないでしょうか。「
唯物論を始めとする現代社会の価値観は、本来自明(当たり前)ではない。しかし現代人の多くはそれを当たり前と考え、改めて疑うこともせず、また時として、その存在について問わないことを強いられる。さらに、現代人は日々の生活を通して、唯物論的な考え方が自明のものであるかのように振る舞う。このように、人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、産業革命以降の人間が作った仕組みが現代社会である。」

自分の心の支えとなるものを探す

 最後に、一言書いておきたいことは、現代人の、特に現在の日本人の精神力は弱体化しているということです。そして、その原因として、宗教的・道徳的な意識があやふやであり、心の支えの役目を十分に果たしていないと考えられることが一つあります。唯物論的な考え方からは、ポジティブなものをあまり感じられないのです。しかし、輪廻の思想からは、正直であったり勤勉な人間は、非常にポジティブなものを感じ取ることができます。だから、信じるに足る思想だとは考えられないでしょうか。

 現代人が受けるストレスは、今後、益々増え続けることが研究によりわかってきています。また、それを裏付ける統計も出ています。今後のストレス増大が決定的であると考えられる現在、現代人は、どのような対策を立てるべきでしょうか。私は、心の支えを得ることが非常に大切なことであると感じています。現代人は今後、自分に対して、精神的な豊かさをもたらしてくれると感じられるものを選択していくべきなのです。そして、そのためには、物事を見極める力を養っておくことが必要なのではないでしょうか。

 それでは、今回は以上の内容で筆を置かせていただきます。